京都の魅力

古寺巡礼、絢爛たる祭、歴史と文学のあとを訪ねる散歩みち

知恩院から青蓮院

 華頂山のふもとの知恩院から、北へ青蓮院をへて粟田口、さらに疏水ぞいの道を南禅寺に至る。石垣と楠の大木の道が山麓にそっているあたり、季節、時間をちがえても、それぞれに豊かな古都の詩情が流れている。

 桜の花の4月、知恩院では開祖、法然上人の忌日法会がおこなわれ、底冷えから開放された京の人々は、この御忌詣と共に花見にでかける。人々は清水寺から北へ、平安神官から南へと思い思いに花をたずねて歩いていく。

知恩院三門は、大きな堂々としたものだけれども、 もはや三十三間堂の南大門や高台寺の薬医門のような生気はもっていない。手がたい職人の仕事である」(竹山道雄『京都の一級品』より)。たしかに黒々とした巨大な山門であるが、門の下に立っても、東福寺の山門に感じたような力強い異様なすごみがない。むしろ、この間は少しはなれて、東山の緑を背景として見たほうが美しいようである。大晦日の夜、白朮詣の人々がまわす火縄の光跡が、黒々とした三門の中の石段を上っていくのは幻想的な光景で、その時に聞いた知恩院の鐘の音は印象的だった。知恩院は、軍事的な目的で造られた寺院だといわれているが、三門の北の黒門からはいると、どこかの城にやってきたような感じがする。「昔の人は元気だったんだなあ」といいながら、三門の長い急な石段をのぼる親子があった。のぼりきった広場の建物は、いずれも力強い立派なもので、真近な華頂山の密生した緑とともに、やわらいだ明るさのある世界をつくっている。本堂の東奥には、円光大師廟への道が白壁の間をのぼっているが、本堂周辺とは違った聖域への入口であることを知らされるところである。のぼって左に勢至堂があるが、古さびた素朴なところで、いつまでもたたずんでいたいところである。

 知恩院の北隣りの青蓮院への道は、石垣とその上の楠の巨本の道である。たえまなく通る車をさけて歩かねばならないところではあるが、楠は古都の詩情をなんとか保とうとしているかのようである。排気ガスのために、これらの楠も案外早く消失してしまうのではないだろうか。

 石垣の上の苔の上を、楠の根がはいまわっているようで、不気味である。この楠を見るだけでも、ここをおとずれる価値は十分あるといつも思う。京都にある5つの門跡寺院のひとつだけあって、どことなく優雅なたたずまいである。黒い柱の門、白い壁、苔と石垣、それに古い楠がみごとに調和をみせている。古い楠は、青蓮院官が安政の大獄で退隠永蟄居を命ぜられた時代のことも、それ以前のことも知っているにちがいない。

 青蓮院の前から比叡山大文字山がよく見えるが、比叡山はドライブウェイにけずられた跡がまだ残されて、いたいたしい。

 寛永年間にはじまったという粟田焼の跡ももう消失したのか、過去の美を知るすべもない。粟田神社、仏光寺総本廟、そして近代的な姿となった都ホテルヘと道はのぼる。「君さらば粟田の春のふた夜妻 またの世まではわすれ居給へ」と歌った与謝野晶子の時代を物語る何ものも残ってはいない。ツツジで有名な浄水場の「御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまへ紫の水」の歌碑があるのみだ。
知恩院

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