京都の魅力

古寺巡礼、絢爛たる祭、歴史と文学のあとを訪ねる散歩みち

琵琶湖疏水~「哲学の道」とその周辺

「桜の花びらが流れつくすと、季節は初夏にうつってゆくのだった。若葉が眼のさめる様な新緑を、こんどは疏水にかげをおとした。秋にはそれは燃える様な紅葉にかわった」これは田宮虎彦の『琵琶湖疏水』の一節で、美しい自然と共存できない悲しい青春の物語である。田宮虎彦がこの疏水べりを歩いた日は、静かな流れにうつる青空のかなたに、暗雲を感知しなければならない時代だった。この琵琶湖疏水には、京都の復活の日の物語と多くの人たちの青春の物語が流れている。

 明治18年(1885)、北垣国道知事は、田辺朔郎技師とともに、当時不可能といわれた琵琶湖疏水の工事をはじめ、明治23年(1890)に完成した。日本の近代産業のエネルギーを、古都から立派に発生させたのである。この古都復活のエネルギーとなった流れに対して、人々は心からなじみ、美しく育ててきた。人工の水路であることを考えさせないまでに、昔からの東山山麓の自然に融和している。画家、橋本関雪の大人は、自費で桜の苗木を疏水べりに植えた。「関雪桜」として、多くの人々にすばらしい自然をあたえてきた。

 流れのある道は、山科あたりからはじまり、南禅寺の水道から若王子神社、そして東山の麓を銀閣寺道へと続く。

 いつの頃からか、東山山麓の疏水べりの道を「哲学の道」と呼ぶようになった。西田幾多郎田辺元などがこの道を好んで散策したことも、その由来で、静かな流れと自然が思索の道に通ずるものを持っているためだろう。

 桜の花びらを流す水の流れは、とどまることを知らない。秋の日も同様、枯葉は静かに刻々と移動を続けて行く。思索する者にあたえられた宿命のように、生命の終りの日まで、立ち上り休息することを許さないきびしさがある。そして、風音だけの世界が流れとともにはてしなく続く。

 ある時、流れにそって、はじめは休息のつもりで歩きはじめても、いつまにか何かを考える散策となっている。過去の人々の思想の断片が、疏水べりにいっぱい散らばっているようだ。過去の人々といえば、銀閣寺の南の茅ぶきの山門のある法然院には、河上肇、河田嗣郎、内藤湖南九鬼周造谷崎潤一郎などが永遠のねむりについている。ここの本堂の輝く床の上には四季に応じた散華があって、俗世界と来世の無限の空間を怪しく感じさせる。静かに歩くことにしよう、哲人たちのねむりをさまたげないように…。

 疏水にそって、ふたつのローカル・ミュゼアムともいうべきものがある。ひとつは、録閣寺のすぐ西にある橋本関雪の「白沙村荘」で、ここには関雪の古美術コレクションの大半がある。中国土偶、ギリシア・ペルシアの陶器、それに4000坪の庭では、平安時代から室町時代にかけての多くの石造美術品などを見せてもらえる。

 他のひとつは、イングラインから西への流れのそばにある、中国風の「藤井有鄰館」で、京都らしからぬ建物であるために、とまどいを感じる。ここには藤井善助が収集した中国美術品を中心としたコレクションがある。殷・周・戦国・秦・漢の銅器、北魏北斉・唐の石仏など珍しいものが多い。このあたりは第二疏水べりとは違って、流れも豊かで明るいところである。