京都の魅力

古寺巡礼、絢爛たる祭、歴史と文学のあとを訪ねる散歩みち

比叡山今昔

 濃緑の針葉樹の道をたどる時、眼前に突如として、紅・黄・褐色の明るい光に満ちた空間が現われる。小さな正方形の入母屋造り檜皮葺の建物の周囲だけが明るく、音もなく、静かに紅葉が降っていた。そのまま足を進めたとすれば、その紅葉と枯葉の光波の世界は瞬時に消失してしまうように思った。

 元亀2年(1571)、信長は比叡山のすべての堂舎を焼払った。その兵火の中で焼失をまぬがれた唯一の建物が、西塔の別所谷にあるかわいい瑠璃堂であると伝えられている。たずねる人も少なく、忘れられた小堂である。さらに足をのばせば、慈恵大師良源の開いた黒谷青竜寺にでる。このあたりはもとより、比叡山は野鳥の繁殖地として特別天然記念物の指定を受けているだけあって、野鳥は多い。初夏の頃には、オオルリのソプラノ、さわがしいキツツキ、そしてサンコウチョウキビタキアオゲラサンショウクイなどの声を聞くことができる。

 ケーブルカー、ロープウェイ、ドライブウェイなどによって、比叡山の観光開発は進められてはいるが、それらは単に線で開発されているにすぎない。堂塔は美しく朱の色に染められ、道路はコンクリートでかためられてはいるが、まだまだ三塔(東塔、西塔、横川)十六渓、二別所(黒谷、安楽谷)の各所に、昔日の道場霊場としての比叡山が存在している。

 巨杉の下に、名も忘れられた渓間に苔におおわれた石垣、草深い寺跡がねむり続け、いわゆる比叡山三千坊の幻影が、いたるところにひそんでいるのである。

 広い本通りから、ふと何気なくはずれて、杉の木立の中に立入ると、枯葉とシダ植物の間に「渓の墓地」を見つけることがある。兵火に焼ける堂塔の炎、燃える巨樹の梢、殺りくのどよめき…といったものが、ひとつひとつの石塔に記録されているに違いない。比叡山三千坊の背景の時の流れを聞く時、黄葉が静かに降りかかる。

 東塔の天梯権現祠、狩籠ガ丘、飯室の慈忍和尚廟、元三大師横川御廟の4個所を「魔所」と呼んでいる。ここには天狗が住むといわれ、うっそうと暗いところである。

 比叡山延暦7年(788)、最澄によって比叡山寺が建てられて以来、仏教、学問の道場として今日にいたっている。最澄、円仁、円珍等が次々と中国より文明をとり入れたことは、 日本文化の発展に大きい役割をはたしてきた。

 ここでは、観光旅行者の眼にはとまらない、きびしい修行が日夜おこなわれていることを知らねばならないだろう。密教の一儀軌に「若し閑静処なる名山に於て意楽に随って回峰せば最も殊勝なり」と示されているが、今日も回峰行者は一千日を一期とした行をおこなっている。頭上に蓮の葉をまいた形の檜笠をいただき、自の麻衣の回峰行者に山道でであうことはまれなことである。というのも、この行は夜半よりはじめられ、昔の規定どおりにおこなわれているからである。あまりにも享楽化した社会にあっては、ともすればきびしい生き方を忘れてしまいそうである。宗教とは何だろうかと考えずにはいられないムードが比叡山にはあるようだ。
比叡山延暦寺

広告を非表示にする