京都の魅力

古寺巡礼、絢爛たる祭、歴史と文学のあとを訪ねる散歩みち

鞍馬と貴船

 海百合、紡錘虫、珊瑚、腕足貝、巻貝は何億年か石灰岩の中にとじ込められていた。濃緑の樹林の海底で、今静かに、白く岩面から浮上して無限に遠い古生代の物語をはじめる。地質学的な思考の世界が、鞍馬と貴船にはある。

 鞍馬寺の本堂の左奥への道をたどれば、スギ、モミ、アラカシ、ウラジロガシ、サカキ、ツバキの深い樹林にはいる。奥ノ院といわれる不動堂、魔王堂のあたりは暗く、鞍馬とは闇部のことであるということがうなずける。このあたりに露出する石灰岩は、雨水による浸食を受け、牛若丸と烏天狗とがわたりあったときの木太刀のあとだという伝説を信じさせる形のものもある。

 樹林の中には、朽本が倒れて菌類が生育し、キノコムシをはじめとした甲虫類が金属光沢を小さく輝かす。魑魅魍魎のさまよう世界も、自然科学者にとっては研究資料の宝庫である。

 鞍馬寺鞍馬弘教の総本山で、都の北方守護の多聞天(昆沙門天)を祭っている。今日では、商売繁昌を願う人や花街の人のお参りがたえない。

 門前町は、名物木ノ芽煮のにおいがいっぱいである。木ノ芽煮とは、山椒の葉と幹の靭皮(辛皮)と昆布との佃煮で、古い時代には塩漬に作ったともいわれている。

 火祭の夜は、この門前町を大小の炬火がうめつくしてしまう。この祭は、山門をはいったすぐ上にある由岐神社の祭で、10月22日の夜におこなわれる。志賀直哉の『暗夜行路』の中にも、この祭がでてくる。冷たい秋の空気をふるわして、異様に興奮した人々の顔を火が赤く染める。

 鞍馬寺への九十九折の石段を登れば、春にはシャガの白花が斜面をおおう。たどりついた本堂の小さい境内で、ヤエザグラと赤く咲きこぼれるスオウの花にであうこともある。不動堂への暗い道にも、ヤマアジサイウラジロウツギ、イワカガミの花が、初夏の頃に色彩をにぎやかにする。魔王堂から左へおりる道を進めば、間もなく貴船の谷を見おろす。秋であれば、燃えるような紅葉が谷にそっているのを見るだろう。

 貴船神社は、川上の神を祭っている。ケヤキの大木と朱の鳥居、それに紅葉は、鞍馬山の暗い様相とはまったく違った明るい雰囲気である。

 渓谷の道を奥ノ社へたどれば、巨杉の並ぶ開けたところにでる。少し斜めになった巨大な杉の並びと山腹のところどころにある紅葉、そして青い空に秋をしみじみと味わうことができる、奥ノ社のイタヤカエデの紅葉の下で詩集でも開いたらどうだろうといつも考える。奥ノ社の左奥には、輝緑凝灰石をつみあげて造った舟形石がある。いつの頃か、だれかが航海安全を願って造った御舟だろうが、何億年かの昔に海底火山の噴出によってできた岩石のこの船は、タイムマシンのように月光と共に遠い過去を走っているのだろう。

 貴船渓谷には、ムカシトンボが生棲している。生きている化石としてのムカシトンボ科に属するものは、ヒマラヤムカシトンボと日本のムカシトンボの2種だけである。5~6月に渓流にそって飛んでいる。鞍馬と貴船は、何かめっぽうに古いものの存在を感じさせる。人類がまったく関知しない古い過去と無限の時の流れの中で、自然との対話ができるところである。
鞍馬寺
貴船神社