京都の魅力

古寺巡礼、絢爛たる祭、歴史と文学のあとを訪ねる散歩みち

東福寺と伏見稲荷~東山南麓の魅力

 東福寺へ通ずる石垣と土塀のある道は、静かで古都探策の目的をもつ旅人を十分満足させてくれる。ともすれば、京都は南へ行くにしたがって、古都という言葉を失いがちであるが、東福寺あたりが古都の南限かもしれない。

 檜皮葺の月下門の前から、洗玉澗という渓谷にかかる屋根のついた臥雲橋までくると、別の世界の入口に立っていることに気づくだろう。すっかり庭園となっている渓谷には、カエデがいっぱいあって、少し上部に通天橋がかかっている。昔から通天の紅葉として有名であったらしく、特に開山忌の頃がいいといわれている。開山の聖一国師は「楓林の紅葉久しく保たず」と栄華におぼれるのを戒めているが、何か皮肉なものを感じる。小さい流れに紅色の葉が流れていく秋の終りの日は、淋しさよりも美しさが先行している。

 東福寺は、京都の寺にしては珍しく、明るい上に強いアクセントが各所に見られる。室町初期の再建になる三門も荒れはててはいるが、素朴で力強い表現でせまってくる。柱の1本1本も、長い年月の風化作用ですっかり傷めつけられている。もう、根本的に改修しなければならない時がきているようだ。本当の自然保護とは、やたらに人間が保護の手を加えるものではなく、自然のままにしておくことだ、と誰かがいったのを思いだす。ある禅の老師は、禅宗の将来について「いつかは亡びるでしょう、それが釈尊の教えですから」と答えたというが、今の我々の知恵では、やはりこの国宝は修理しなければならないだろう。三門の2階からは展望が良く、京都の南部が望まれ、近代的なものが四周から次第にせまりつつあるのがわかる。

 東福寺の南には、稲荷山があって、そのふもとには稲荷神社がある。もと農耕神として発生したものであるが、江戸時代にはいろいろの稲荷ができ、開運出世、商売繁盛の神となった。「伏見稲荷はいつの時代にも現世的だった。だからさかんなのだ」と、丹羽文雄も書いている。稲荷といえば、狐と朱の色の鳥居で有名である。朱の色の鳥居のトンネルをくぐりながら歩いていると、俗界とはまったく隔絶されてしまったように感ずるから不思議である。全山の鳥居の総数は1万とも2万ともいわれているが、ともかく無限に存在しているようである。ひとつ1000円程度のミニ鳥居から数百万円のデラックスなものまで、何かの願望の表現として林立しているのだから、神様も大変だと思う。

 東山は、一応桃山のあたりで終り、別の醍醐山地が南の宇治川までのびている。秀吉がここに伏見城を築いたのは、宇治川をひかえた形勝の地であり、西国出入ののどくびであったことが理由だとされている。

 伏見は伏水の文字のとおり、良質の地下水にめぐまれたため、灘に次ぐ銘酒をつくってきた。土蔵造りの白壁の酒蔵、杉桶、本樽、そして杜氏の歌も次第に姿を消し、近代的な醸造技術で進められている。いくらか残っている白壁の酒蔵を発見すると、時間旅行者になったような気がしてくる。かつての港町としての伏見の姿も消失してしまった。「都ヘノボル高瀬船、難波ヘ下ル悼ノ歌」は、今や遠い昔の物語である。再現した伏見城には、何の感動も得られないといえば、うそになるだろうか。
東福寺