京都の魅力

古寺巡礼、絢爛たる祭、歴史と文学のあとを訪ねる散歩みち

王朝のたそがれ

 繊細優美に磨ぎ澄まされた王朝の文化を作り上げたのは、いつまでもなく京洛の風情ゆたかな四季の自然である。だが、摂関政治の確立後は、政治は摂関家専制となり、執政の府は年中行事の儀式典礼の場となった。貴族は門閥と膨大な荘園収入の上に安坐して、豪奢な遊楽生活を送ることができたからである。
 また、この時代は大陸文化の模倣時代をすぎて、日本人に即した国風文化が築かれた時代でもある。その要因は、かな文字の発明で、これによって日本人ははじめて国字をもつことができた。和歌はこのかな文字によって育くまれたものであり、いままでの漢字の不便さをすてて、自己の感情や意志を自由に、的確に表現することができた。当時の貴族にとって、和歌はなによりも第一の教養とされて発達してきたのである。
 延喜5年(905)に紀貫之らによって撰進された『古今和歌集』は、雄々しく直情的な『万葉集』のつたいぶりとは異なり、艶麗で手弱女ぶりの、独特の境地を作り上げた。こうした情趣的で耽美的な気風は散文の世界にまでおよび、多くの女流文学者を輩出していく。
 『源氏物語』の紫式部、『枕草子』の清少納言、そして、和泉式部などと、はなやかな、女性文学の一時代を作り上げたのもこの時代の特色で、当時の王朝文化の特性を多いに物語るものであろう。
 しかし、やがて内乱がおこり、戦乱がはげしくなってい<。
  大空は梅のにほひにかすみつつ
  くもりもはてぬ春の夜の月
 と、春の夜をなまめかしく詠んだ歌人藤原定家も、
  見渡せば花も紅葉もなかりけり
  浦のとまやの秋の夕ぐれ
 と、すさまじい内乱の現実を凝視した斜陽貴族のさめた目があった。
 これらの歌を載せた『新古今和歌集』は、動乱の鎌倉初期に、あやしくも艶一麗に花開いた日本文学の粋である。この中には、王朝の美の極致を詠みながらも、哀れにもくだけゆく王朝のたそがれが、多くうたわれていた。